イエスの愛 2013 7 7

書名 イエスの生涯
著者 遠藤 周作  新潮文庫

 エールフランス。
パリへ向かう飛行機の機内に持ち込んだものは、
「イエスの生涯」という本でした。
あれから数十年の月日が流れました。
 この本を読んでいると、
まるでタイムマシンに乗って、
実際にイエスの時代を見てきたかのように思える部分があります。
 イエスの愛は、「神の愛」に近いものでした。
「人間の愛」と「神の愛」は、どう違うのか。
 それは、「孔子と墨子 2012 12 24」を読めば、
明確に、その違いがわかると思います。
 イエスは、キリスト教徒だけではなく、
すべての人類を愛してます。
それが、イエスの仕事だからです。
 神を見たければ、イエスを見ればよかったのです。
しかし、あの時代の人々は、それがわからなかったのです。
その原因は、「人間の愛」と「神の愛」の違いがわからなかったからです。

孔子と墨子 2012 12 24
 中国の古代の思想家に、墨子という人がいます。
墨子の思想は、大きく分けて、二つの特徴があります。
「兼愛」と「非攻」です。
 「兼愛」とは、「他人を差別なく愛すること」です。
詳しく言えば、兼愛とは、
家族、社会、国家という概念をはずして、
あらゆる人を無差別かつ平等に愛することです。
墨子は、「愛」に濃淡があってはいけないと考えました。
 これは、中国に従来からあった、
「家族愛を発展させ、
次に、社会に対する愛へ、
そして、国家に対する愛へと発展させる」という「段階を踏むような愛」ではありません。
 すべての人を、無差別に、平等に愛するという「愛」だったのです。
これは、イエスキリストの考える「愛」に近いと言えるでしょう。
 次に、有名なのが、「非攻」です。
こうした「兼愛」を発展させていけば、当然に、「非攻」となります。
 墨子は、戦争を否定し、勤倹節約の生活を説いたのです。
墨子の「墨」とは、姓ではなく、
大工の墨縄という道具から由来していると言われます。
墨子は、大工をはじめとした当時の手工業者集団の指導的立場にありました。
 儒教が、「愛」というものを、
「近い人から遠い人に及ぼす」と考えたのに対して、
墨子は、「すべての人を平等に愛しなさい」という博愛主義を説いたのです。
 中国における「愛」についての議論を紹介しました。
孔子が考える「愛」と墨子が考える「愛」では、大きな違いがあったのです。
 孔子の「愛」とは、「秩序と発展」という儒教の特徴が出ていると思います。
また、孔子の教育者としての特徴が反映されています。
 一方、墨子の「愛」とは、人間が実践する「愛」というよりは、
「神の愛」に近いものがあったと言えるでしょう。
つまり、イエスキリストの考える「愛」に近いと思います。
 このような議論については、多くの人が、
「今の中国からは、とうてい考えられない」と言うでしょうが、
大昔の中国には、高度に文明が発達した時代があったのです。
 文明というものは、時には退化するものです。
今の中国は、孔子や墨子の時代と比べると、「野蛮」ですね。
 私は、時々、「中国の古典が好きである」と書いていますが、
その理由が、わかりましたでしょうか。































































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